「ポストフェミニズム」を問う

 

シンポジウム主旨説明

 

海妻径子・荒木菜穂(コーディネーター)

 

 「ポストフェミニズム」には、フェミニズムの否定から発展的乗り越えまで、相反する意味が共に込められてきた。本シンポジウムでは、これらの相反する意味をおおまかに、「フェミニズムの基本的価値観(ジェンダー平等)を支持しつつも、それは既に達成されているとみなす」、あるいは「『女性という固定的集団的アイデンティティにもとづく社会的政治的運動』としてのフェミニズムによってでは、達成できないとみなす」社会現象や主張・ムーブメントと定義し、用いる。

 近年の動きとして、「その発展的乗り越えの試み自体が、商品化され消費されているのではないか」という、フェミニズムの否定につながる批判的文脈のほうで語られることが増えてきた傾向がある。その一方で、若い世代を中心としたSNS等を活用するなどの新しいかたちのムーブメント、あるいはトランプに「国に帰れ」と罵られた女性下院議員オカシオ=コルテスの登場に象徴される、再配分要求と政治行動とフェミニズムの新たな結びつきなど、もはや「ポスト・ポストフェミニズム」と呼ぶべきなのかもしれない、さらに新しい展開が昨今はみられつつある。

 これらの「(ポスト)ポストフェミニズム」諸現象は、フェミニズムの歴史の流れの中でどうとらえていくことができるのか、日本型「ポストフェミニズム」の特徴、そこにおける家族やセクシュアリティをめぐる規範・役割意識の変容や、資本主義との関係性はいかなるものなのか。本シンポジウムでは、セクシュアリティや経済、思想など、異なる視座からこの現象に迫っている3名のパネリストからの報告をもとに、考えていく。

 

シンポジウム発題者から

 

「ポストフェミニズムから99%のためのフェミニズムへ」

菊地夏野

 

 英米のポストフェミニズム論は、バックラッシュを受けた1990年代以降の「フェミニズムはもう必要ない」というメディアや若い女性たちの言説と意識を批判的に分析し、それによって隠される性差別の現実を考察してきた。そして、2010年代には「新しいフェミニズムの流行」を前にして、そこで浮上した「フェミニズム」が依然として「ポストフェミニズム」であり、「古いフェミニズム」は排除されようとする政治を明らかにした。この数年「フェミニズムブーム」を迎えている日本において、ポストフェミニズムはどのように展開しているのか、本報告ではポストフェミニズム論の概要を紹介しながら、日本で考えるべき論点を整理する。そのさい、わたしたちが抱いている「フェミニズム」の内実を検証する作業が生まれてくるだろう。ポストフェミニズム、フェミニズムとは何なのか、労働、政治、ケア/社会的再生産労働、インターセクショナリティ/植民地主義などこれまでのフェミニズム理論のキーポイントを参照しながら考える。最終的には、近年の世界的なフェミニズム運動の波のなかで注目されている「99%のためのフェミニズム」の視座を展望する。

 

 


「ポストフェミニスト的言説パターンの登場とその特徴」

高橋幸

ネオリベラリズム政権によってフェミニズムが簒奪され、「官製フェミニズム」が進む社会状況のなかで見られるようになった、メディア上のポストフェミニスト的言説パターンについて報告する。

英米では、バックラッシュ後の1990年代から、現代を「フェミニズム」以後の時代と捉えるポストフェミニスト的言説パターンが登場した。それは、大きく次の2つの特徴を持つ。第一に、「現代では性別にかかわらず実力次第で誰でも活躍できる」というネオリベラリズム的・個人主義的主張。第二に、恋愛や結婚、性の場面をおもに念頭に置きつつ、性別らしさを重視する主張である。また、「ポストフェミニスト」という語が人口に膾炙するようになった90年代のアメリカでは、マクロレベルで見ても、性別役割意識の低下が停滞するという動向の変化が起こっている。日本でも、2000年代のバックラッシュと、その後の政府主導の女性労働力化の推し進めのなかで、ポストフェミニスト的な言説パターンが見られるようになっており、性別役割意識の低下の停滞も見られる。

 このようなポストフェミニスト的言説パターンは、旧来の家族主義に基づく保守的言説パターンとは異なっている。そのため、これに対する新たな対抗言説を構築していくことがフェミニズムの喫緊の課題となっている。したがって、本報告ではこのような経緯を整理して提示したうえで、最後に新しい対抗言説の構築のために必要な分析概念を提示し、今後さらなる「女らしさ」の意味論についての研究が必要であることを論じる。


「ジェンダー平等が達成されたと思わされている社会機構はなにか」

 

近本聡子

 

 かつて、一部は消費者女性みずから、また多くは社会運動をしていた男性たちのビジネスモデルとして発展してきた、生活協同組合運動(活動)。イギリスの女性消費者たちの消費運動と決定的に異なるのは、イギリス消費者女性が「買い物は投票行動」というスタンスで企業と長く対峙していたのに対し、日本は「安全・安心な食べ物」を調達あるいは商品開発することに特化していったことである。

 2000年代になり食ニーズが達成された後(貧困層では達成されていないが)、消費者運動も消沈気味、かつ安全性についても生協独自基準で厳しい選別をしている生協は、数少ない。女性組合員が95%弱をしめ、2000万人以上が組合員として日常の買い物をしている組織ではあるが、家庭内の性別役割分担をみると、経年調査で分かる実態では男性稼ぎ手モデルが少し崩壊しているかと考えられる動きがみえるのは2018年調査くらいから、若年層に限定的に、である。2015年の全国組合員調査では、食事のマネジメントを担っているのは9割女性であった(回答者女性自身のみ)。30年にわたって、この構造はほとんど変わっていない。むしろ、職場でのジェンダー平等への改善のほうが先行しているのではないかと考えている。

 「主婦」ではないが、食事マネジメントは一手に引き受けている母親たちは、ワンオペ育児から解放されていない。コロナ予防体制下で、再び女性の食事マネジメント量(食べさせる、というケア労働量)が強化され、職業生活に影響が出ていることが分かってきている。私自身は日本の家族内でジェンダー平等が達成されたなど、つゆほども考えられない。かつて、いわゆる「女なみ平等」をめざす運動の代表であった生協組合員によるワーカーズ・コレクティブなどの仕事起こし運動が、労働者協同組合法成立(2020年)によって男女ともに「地域で役に立つ」仕事づくり運動になろうとしている。

 女性たちが陥らされている「ポストフェミニズム的状況」の代表的なものは、あいも変わらず「家族」と自助的労働を強化する「働く場」の身分制度であり続けているのではないか。未婚率の上昇は、差別を回避する最終手段に思えるのである。